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もう写真をアップするのはけっこうあきらめた。気が向いたときに文章だけ書いとく。で、インフルエンザになった。もうなおったけども。生まれて初めてのインフルエンザ。最初の兆候はなんだったかというと、いやに寒いと思った日だ。朝から寒くて寒くて、家の中でベンチコート着てた。雪の日のサッカー観戦でしか着ないやつ。それでも寒くて、なんだこれはと思って熱をはかったら7度5分あった。微熱だけど自分としては高熱。とっとと寝て、しかし翌朝いっそう気分が悪くなってるのに驚く。そして一日寝ていることにしたら、どんどん熱が上がってきて、8度5分までいった。でもそれ以上はいかない感じ。そして体中が痛かった。風邪のときの「節々が痛い」というのともちょっと違うような感じで、全身がまんべんなく痛い。鼻の奥も痛い。その日は一日寝てて、母にクリニックに電話してもらって翌朝一番の診察予約した。で、翌朝、だるまのように着込んでよろよろクリニックに歩いて行った。でもまあ歩けるし、熱も下がってきてたし、風邪だろと思ってた。「熱が高くないからインフルエンザらしくないけど、体が痛いというのが気になるから、一応検査しとこう」と梅之助先生が言い、インフルエンザの検査した。鼻の中に長い綿棒つっこん粘膜採取して調べるらしいもの。10分くらい待つ。それで待ってて、呼ばれてまた診察室に入ったら「インフルエンザですね」ってあっさり言われて仰天する。。「A型ね。ま、AでもBでもいいんだけど、いま流行ってるのはA型です」と梅之助先生が明るく言う。しかし梅之助先生はマスクもせずになんでいつもあんなに元気なんだろう。タミフルと咳止めもらって帰宅。でまあ、薬のんでおとなしく寝てたらみるみるなおって、でも5日間はウイルス出るから外出しないように言われ、それを守り、完治していまに至る、と。養生中は、お粥とりんごしか食べられなかった。りんごってほんとうに素晴らしい食べ物だと思った。母が「プリン」買って来てくれたけど、具合悪いときにプリンは食べたくないとはっきり思った。
# by cow-koe | 2013-01-28 10:34
マラソン大会_f0008714_11433478.jpg去年も一昨年も参加している山梨のフルーツマラソンに今年も参加した。朝5時に起きるとき、「なんでこんなことしてんだろう」と去年も思ったけど今年も思った。参加費を払って、早朝に起きて、あのバカみたいなアップダウンのコースをひた走る。なんなんだそれ。わざわざ苦しいことをするために金と労力と時間を費やす。なんなんだそれ、ほんとに。だけど行くのだ。走るのだ。ぼけぼけのまま、前日つくっておいた玄米おにぎりをすいた電車の中でもぐもぐ食べ、途中駅でラン仲間のK子さんH子さんS子さんと合流。現地で初参加の若人Eちゃんとも合流。これも去年と同じだけど、スタートまで意外とばたついてて遅れて、スタート地点にひーひー走って行くという「こんなとこですでに体力使ってなんなのよー」なハメになりつつ、あれよあれよとスタート。あいかわらず、とんでもないコースで、アップとダウン、しかない。私はほんとに上りを走るのが苦手で、それでも今年はなんとか歩かずにゆっくりでもいいから走ろうと思って、ひたひたゆるゆるちゃくちゃくと走る。このレースは、町ぐるみで盛り上げてくれるレースで、沿道には地元の人達がたくさん出てきて応援してくれる。走っている人達もうれしそうに手を振って応える。「みんなかっこいいよ!」と紙に書いて掲げて立ってるおばちゃんとか、老人ホーム前の車いすの応援団とか、「がんばれー」と野太い声をかけてくれる消防団のおじさんとか、なんでこんなに素直に励まされてしまうんだろうと思う。「歩いちゃおっかなー」と思うところで「がんばれー」と声かけられると、なんとなくがんばって走ってしまうから不思議だ。そうこうするうち上りが終わって、得意の下りになり、ひゅんひゅん調子良く走っていく。きついけど楽しく、やめたいけどやめられず、意味がないけど意味がある。走るというのはそういうことだと思う。終わってみれば、去年より4分もタイムが早かった。みんなそうだったみたい。気候がちょうどよかった。去年はべらぼうに暑くて、倒れる人も多かったのだけど、今年は救護班もひまそうだった。終わると、ブドウや麦茶やお弁当をもらう。このお弁当(写真参照)がたいへん良い。普通の地味なお弁当なんだけど、ごはんがおいしい。そして、おいしい甲州小梅が器に山盛りになっていて食べ放題なのも素晴らしい。10個は食べたな。帰りはみんなと八王子の温泉に行って、走って消費した分以上のビールを飲んで、帰宅した。また来年も走れますように。
# by cow-koe | 2012-10-22 11:49
救命講習_f0008714_1136316.jpg消防署でやっている「救命講習会」の上級を受けに行って来た。去年の秋に普通を受けて、次に8時間の講習を受けると上級だというので、やっとくか、と思った。朝9時から夕方5時までという一日仕事。お弁当を持ってこいというので早起きしてお弁当(写真参照)まで作り、こんながんばりはふだんの仕事でもなかなかないよ。講習の内容は、普通講習のときの内容の念押しと少し詳しくした感じだった。心肺蘇生とAEDの使い方と気道異物除去の実習、それにともなうさまざまな知識や周辺に付随する必要なこと(止血などの応急手当や搬送の仕方)など。25人くらいの人が参加してた。3分の2が男性で3分の1が女性くらいの男女比率。年齢は男性が40代から70代、女性は20代から60代までいた感じ。若い男性がいないのがちょっと気になった。心肺蘇生とAEDの実習は、人形を使ってやる。まわりが安全かどうか確認→倒れている人の肩をたたいて反応確認→助けを求めて119番への通報とAED持ってくることを周囲の人に指示→倒れている人の呼吸の有無確認→呼吸無しを確認したら胸骨圧迫開始→人工呼吸開始→AEがD到着したら電源入れて作動。と、まあここまでをひとりひとり人形で実習する。講師の先生がちょこちょこと条件を変えて指示をだす。「じゃあ今度は、1歳の赤ちゃん」とか「川で溺れて助け上げられてびしょびしょに濡れてる人」とか「右胸から出血している人」とか。赤ちゃんだと心肺蘇生や人工呼吸のやり方が少し変わるし、身体が濡れている人はちゃんと拭いてからでないとAEDがつけられないとか、止血より心肺蘇生を優先させなきゃだけど血で濡れたままのところにはやはりAEDがつけられないとか、いろいろ考えなきゃならないことがある。みんなで、わあわあいいながら、それでも真面目に実習をすすめた。お昼休みに少し話したら、私の隣の60代の女性は、近所の親しい人が立て続けにふたり心筋梗塞で亡くなった経験から、講習を受けておこうと思ったということだった。親が倒れたときにどうしていいかわからなかった経験があってとか、みんないろいろな参加理由があるようだった。70代でアスリート体型の山登りが趣味という男性の話に涙した。3年前にたまたま近所の中学校の前を通ったら、中学生が突然倒れて、まわりの人達がパニックになってたので、入って行って、救急車が来るまでのかなり長い時間ずっと心肺蘇生と人工呼吸をしたという話。でも、「最初からその子の唇は冷たくて」と言って、そのあと、言葉につまって上を見上げて涙をこらえた。胸がきゅーっとなった。3年前の、救命できなかった体験、その中学生の冷たい唇の感覚が、この人の心と体ににずっとしみついている。ほんとうに、命ってなんなんだろう、命の終わりってなんなんだろう、て思った。私が消防署の救命講習を受けようと思ったきっかけは、もちろん3/11。想像もできないような災害がおきたとき、医者でも消防士でも自衛隊員でもない私は、たぶん何の役にもたたないだろうけど、それでもなんかちょっとだけでもやれることがあるなら、やれるという自信になる小さな基礎知識だけでも得ておきたいと思ったから。40年以上救急救命の現場に携わってきたという講師の人も言っていたけど、講師の人のようなプロではない一般人の私たちができることはだいそれたものではないけど、せめて、見ないふりをしたり、何もできないからって手をこまねいているんじゃなくて、やろうとしてほしい、と。倒れている人がいたらとにかく声をかけて、何かできることはないか、やってみる。まずとにかく声かけて、それだけでもいいから、って講師の人が何度も言ってたけど、まさに、そういうことを思うようになったのが3/11なわけです。19ヶ月がすぎました。
# by cow-koe | 2012-10-15 11:39
西沢渓谷_f0008714_16501113.jpg仕事で、山梨の西沢渓谷に行ってきた。山梨市駅からバスで1時間で入り口に着き、そこから渓谷ぐるり巡って9キロというコース。まあまあ足には自信があるし、「重装備は必要ない」とも聞いてたので、わりと気軽な感じで、しかし靴だけは防水のをはいて、速乾性の服装で、出かけた。そしたらこれが結構なトレッキングコースだった。道は整備されてるところがほとんどだけど、部分的にいきなり「川の中だよ!」なところをチェーンをつかんで上らないといけなかったりする。かなり心拍数はあがった。あとでタクシーの運転手さんに聞いたら、「シーズン中、10回くらいは救急車が出動するねー」とのことだった。実際、崖の上に枯れた花束が供えられていたのも見た。「こ、これは、、」と呆然と見てたら、後ろから来たおじさん達が、「写真撮ってて後ろに下がったときに崖から落ちた人がいるって聞いたよ」などと怖いことを教えてくれた。何度も書くけど道はほぼ整備されている。でも崖はかなり急で、高い。どういうところも自然を甘くみて来ては行けない、と肝に銘じる。しかし、川の水は信じられないくらいきれいだし、いろいろな形の滝がいくつもあって個性的な景観が楽しめるし、なにより涼しくて気持ちいい。疲れるには疲れたけど、命の洗濯とはこのことだなーと思った。帰りには、有名な「ほったらかし温泉」に行った。残念ながら富士山はもやってて見えなかったけれど、パノラマの景色を見ながらの露天風呂、最高。タクシーの運転手さんが言うには、一番混むのは紅葉の季節だけど、冬もいいし、桃の花が咲く春もいいよ、とのこと。一年中いいんじゃん! でもそうだろうなあと思った。またぜひ行きたいです。写真に写っているのは、行きのバスから一緒だった3人組。軽装だけど健脚で元気いっぱいだった。
# by cow-koe | 2012-08-13 16:52
やっと_f0008714_1120293.jpg
新しいパソコンのことがわかりかけてきました。キーボードにも慣れてきました。そしてきっと今までのように、わかりかけてきたままでもう次のパソコンを買わなきゃならないはめになるのでしょう。なんなのこの世の中。私がライターとして仕事を始めた1980年代、もちろんパソコンなどなく、ワープロもなく、それどころか一人暮らしのアパートには最初のうち電話もなく、でもたいして困ってもいなかったけど、バイト先に連絡しなきゃならないときは、お向かいのタバコ屋さんで電話を借りてたりした。ライターの仕事をもらって、原稿用紙に鉛筆で原稿書いてた。でも、バイト先はコンピューターの本を作ったりする会社だったから、職場にはコンピューターやワープロがあって、使い方はうすうすわかっていた。自分用にワープロというものを買ったのは、1990年代の初めだったと思う。「文豪」という名前のワープロ。なんて便利なのか、と思った。友達のデザイナーの事務所に間借りして、ワープロをびしばし打って原稿書いてた。友達のデザイナーはMacを使いはじめ、私もさわらせてもらってゲームとかしてたけど、それで文章も打つようになるとかは思わなかった。コンピューターは原稿を書く道具ではない、という感じ。それが、インターネットというものを知って、コンピューターが一人に一台要るのだ、となると、これで原稿も打ちゃいいんじゃん、ということになった。それで、初めてのMacを買った。そしたら「文豪」とはキーボード配列が違って、ものすごく打ちにくい。いったん覚えた手の動きをかえなきゃならないのは大変で、原稿の内容までおかしくなった。もうだめだあたしライターとしてやっていけない、とまで思ったのを覚えてる。だけど、だめだだめだと思いながらもやってるうちにだんだん慣れてきた。インターネットはまだ電話回線だった。近所の雑居ビルの一室にあったプロバイダーを使ってたんだけど、これがある日いきなり夜逃げしていなくなり、唖然としたこともあった。今となっては信じられないような話だなあと思う。キーボードにはすっかり慣れたつもりだけど、とはいえ、カナ変換だし、指ほとんど4本しか使ってないいびつな打ち方してる。今日、若いろう者の人にインタビューして、彼はパソコンをたたきながらインタビューに答えてくれたんだけど、ものすごく打つのが早い上にその指さばきのなめらかさに感嘆してしまった。でもこれが普通なんだろうなあと思って。しかし、原稿用紙に鉛筆で原稿書いてた人間が、ここまでになったんだからまあまあヨシとするか、というようなことも思ったのでした。さて、写真も乗せられるようになったぞ。いま読んでる本と、こないだ買ったかわいい牛のしおり。しかしこの本、冒頭4行目にして誤植があって、がくーーとなったよ、、。
# by cow-koe | 2012-08-03 11:29